塩田 将大 Aiki Peace Seeker -合気道家-

★塩田剛三の孫が伝える【心】を豊かにする合気道★

合気道って触れないで倒すことが出来るんですか?

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塩田剛三

 

塩田剛三内弟子「先生、合気道は触れないで倒すこともできるんですか?」

 

塩田剛三「バカモンっ!出来るわけないだろ!笑」

 

道場での会話。

 

塩田剛三先生の内弟子の中で、

触れないで倒されたと体験談を述べる人もいる。

 

しかし、塩田剛三先生は、

触れないで倒すことは出来ないという。

 

私は今まで、気で倒されたことはないが、

実際にはあるんだろうなと思っている。

 

お互いに気の方向があったときに、

効果を発するが、殺しに来た相手に気を合わせるのは

気の達人でも、難しいのではないかな?

 

塩田剛三先生は、

実践の厳しさを知っているからこそ、

現実的な思想の持ち主だった。

 

 

塩田剛三と正勝吾勝勝速日(まさかつ・あがつ・かつはやひ)【合気道の心を学ぶ】

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塩田剛三

植芝盛平先生が残した言葉で、

「正勝・吾勝・勝速日」(まさかつあがつかつはやひ)という言葉がある。

 

 

この言葉は、

合気道修行の心構えや心得を言い表している。

 

「正勝」とは、人間にとって正しいことを強く考え、

間違った考えを改めようとする、強い信念。

 

「吾勝」とは、沸き起こる自己中心的な考えを振り払い、

人々にとって良いことをしようという信念。

 

「勝速日」とは、正しいと思ったら即行動に移すこと。

躊躇している時点で、気の迷いがあり、自分に負けているという考え。

 

合気道が上手くなるには、

技ではなく、こういった正しい心を身に着け

人格を磨かなくてはいけない。

人格がなければ、人と和することはできないと

剛三先生も言っている。

 

この、勝速日を実現できている人は、

今の時代には少ないと思う。

 

後先を考え、絶対に躊躇する。

身の危険に関わることならなおさらだ。

 

1つ、針すなお先生(佐賀県に本部を置く高伝館館主)が語った

塩田剛三先生のエピソードを紹介する。

 

 

進駐軍のいたずら 】

昭和20年の終戦直後のことだが、

この頃は日本人全般が虚脱状態になっていて、

進駐軍(戦勝国であるアメリカ軍)と言えば、

手出しができないような状態で、

日本の警察もその横暴ぶりに手を焼いていた時代だ。

剛三の家は東京郊外の所沢にあり、

当時はまだ武蔵野線といっていた西武線終電車に乗って帰る途中、

酔った進駐軍の兵士が二人乗り込んできた。

その兵士が車中の日本人一人一人の頭を突いたり、

鼻の先に触ったりして面白がっていた。

しかし誰一人それを制止することもせず、

じっと下を向いて我慢している。

やがて兵士の一人が剛三の前に来て、

「パパサン」と言いながら、

右手で剛三の顔を撫でようとしたので、

その手を軽く左手で握ると、

今度は左手で同じ動作をしたので、

その手も握り、

いわゆる両手持ち四か条という技でビシッと極めると、

この大きな男はぴしゃっと床に這ってしまった。

この兵士にとって運が悪いことに、

当時の電車は木造で床には油が塗られていたので、

顔から服までその油で真っ黒になり、

哀れな姿になってしまった。

兵士たちはよっぽど驚いたのか、

二人ともおとなしくなってしまった。

その時の日本人乗客全員のうれしそうな顔が今でも、

剛三の目に浮かぶと言う。



また昭和22年正月の事だが、

午後のまだ日が高いころ、

親戚の家に挨拶に行った帰り、

恵比寿駅近くまで来ると、

交番に人だかりがしていている。

剛三も好奇心で覗き込むと、

若い奥さんとみられる女性がお巡りさんの前で泣いている。

話の様子から、すぐ近くの路上で黒人兵に乱暴されたという。

いくら進駐軍でもそんなことが許されていい筈がないから

「早くそいつをとっつかまえなさいよ」と剛三が言うと、

お巡りさんは困った顔をして

「なにしろ相手が進駐軍なのでね」と渋っている。

それを聞いて剛三が

「私が捕まえるから、あなたはすぐMP(筆者注:Military police主に軍隊内部の秩序維持と交通整理を任務とする)を呼んでください」と言うと、

お巡りさんは剛三をしげしげと見て

「あなたが? そりゃとても無理ですよ。やめた方がよい」と

親切のつもりでとめる。

剛三はかまわず飛び出すと、

パンパンというビストルの音が聞こえてきた。

その音の方を見ると6人ほどの黒人兵がいて、

その中の一人が面白半分にピストルをかざして周囲を威嚇している。

通行の人たちはみな怯え、

近くの店に飛び込んだりして身を隠すのに大騒ぎとなっている。



剛三は徐々にその男に近づいてゆくと、

子供とでも思ったのか無視して背中を向けたので、

この時とばかり駆け寄り、その背中に頭突きを食らわせ、

振り向いたところを一撃、また一撃と、

飛び上がるようにして思い切り手刀を加え、

ひるんだすきにピストルをもぎ取り遠くへ投げるとともに、

そいつを四方投げで地べたに叩きつけた。

その時、遠くからサイレンを鳴らしてMPがジープで駆けつけてきた。

さすがに彼らはMPには弱く、逃げる間もなく連れ去られていった。

引用元:https://blog.goo.ne.jp/aa120311re/e/ca9895f57cecc1333f85c9510d409e12

 

正しいと思ったことをすぐに行動に移せる

塩田剛三先生は「正勝・吾勝・勝速日」を実践できた人物なのである。

 

このエピソードを読んだとき、

祖父・剛三先生の偉大さを知り、私は泣いた。

 

それと同時に憧れの祖父には、

まだ1㎜も足りてないと感じ、

自分の未熟さを再認識した。

 

植芝盛平と塩田剛三!実際に合った人から聞く、2人の師弟関係は?

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植芝盛平と塩田剛三


 

 

 

私の道場に通っている子どもの、

おばあちゃんの話しである。

 

おばあちゃんは、75歳。

中学の時に植芝先生の道場(合気会)に通ってたそうだ。

ちなみに有楽町に道場はあった。

新幹線の線路工事に伴い、道場は閉鎖されたんだとか。

 

主に、植芝吉祥丸先生から教わっていたそう。

 

まれに植芝盛平先生が、やってきて

指導をしていた。

 

植芝盛平先生が道場に来た時は、

多くの黒帯が先生を囲い、

何の技をやるか指定することもなく、

向かっては投げられ、

向かっては投げられを繰り返していたそうだ。

 

 

植芝盛平先生が、その有楽町の道場にいると聞きつけて

塩田剛三先生が挨拶に来た。

 

当時、塩田剛三先生は、既に養神館を設立していて、

合気会とは、別の流派だった。

 

それでも、植芝盛平先生が来ると聞いては、

挨拶しに行くほど、いつまでも親しかったことが伺える。

 

また、その日は、塩田剛三先生が合気会の指導をしたらしい。

おそらく、植芝盛平先生から指導しろと言われたに違いない。

 

その時、剛三先生は既に有名で、

道場生みんな知っていたので、

指導で道場に入ってきたときは驚いたようだ。

 

しかも養神館のスタイルではなく、 

合気会のスタイルで指導をした。

 

 

剛三先生はいつまでも、

植芝盛平先生を思っていたことが伺える。

 

 

塩田剛三の名言その2【名言から合気道を考える】

 

「心の問題とは、即ち無になれということです。」

 

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塩田剛三

 

 

※もちろん、私の解釈が全て正しい訳ではない。

 ただ、剛三先生の孫として、

 剛三先生の合気道を長年続けている指導者として

 剛三先生の思いを出来る限り分かりやすく

 説明するのが役目だと思っている。

 

 

 

無にならなければ本当の合気道は出来ない。

 

無とはどういう状態のことを言うのだろうか。

無は、言い換えれば無限ということだと思う。

 

何にも考えないことではなく、

宇宙のように全てを受け入れる

無限の心。

 

それを持っていると、

勝ち負けにもこだわらず、

偏見など一切なく

どんな相手でも、受け入れることが出来る。

 

初心者のうちは、

形を覚えたり、

痛みや疲れに耐えたりと

大変なことがある。

 

その段階の先に、

無になるという

合気道の楽しみがある。

 

剛三先生のいう心の問題とは、

雑念のことを言い、

相手を痛めようとする邪心、

日常のストレス、

相手に対する嫌悪感などのことで、

稽古中に持ち続けているとやはり無になれない。

 

稽古前に黙想するのは、

雑念を振り払うためにする。

 

稽古中に無になっていれば、

相手の体格の大きさや

性別や

国籍や

年齢。

もっと言うと、

汗や匂いも気にならなくなってくる。

 

いろいろな方と稽古をし、

どなたでも受け入れることが出来るようになれば、

合気道も上達してくるだろう。

 

 

 

 

合気道の稽古風景【稽古ってどんな感じなの?】

【説明風景】

 

 

合気道の稽古は、

通常、先生が前で技を行い、

生徒はその技を真似る。

 

その際、あまり言葉を介さない。

 

1. 言葉で分かりやすく動きを説明するか、

2. 言葉で伝えず動きを見て覚えてもらうか、

どちらの方が良いか。

 

2.の方が生徒は早く上達する。

 

動きを分かりやすく、言葉で伝えて、

生徒は一見、理解しているように見える。

しかし、実際それが、技に生かされるかといったら、

やはり技に反映されていないのだ。

頭で理解しているだけではダメなのである。

 

自主的に見て学んだ方が、上手になるのだ。

 

しかし、私の道場では、

初心者のうちは説明することも重要視している。

 

初めて合気道をする人の多くは、

相手が【力】で崩されていると勘違いしている。

 

まず、そうではないと伝えたい。

 

合気道をする上で、

痛いことはたくさんある。

でも、根本に相手を痛くすることが、

合気道の目的ではないということが、

理解できていれば、

上記の2の稽古の内容も変わってくる。

 

技がうまく行かないのを、

力のせいだ!と思うことが少なく

姿勢もしくは心が悪いからだと、

思うようになる。

 

そして、無言で、

無になるまで稽古をし

心が磨いていくのだ。

 

 

【言葉なくひたすら稽古】

塩田剛三先生の名言その1【名言から合気道を考える】

塩田剛三先生の名言 

 

いつまでも稽古相手を痛がらせて

喜んでいるようでは、

永遠に合気道の高みに

到達することはできない。

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 

合気道の高みに到達するには、

相手を痛がらせて喜んではいけないのだ。

 

塩田剛三先生の時代には、

相手を痛めることが合気道と思っている人が

多かったと思う。

 

今でも、技を効かせるには、

力が必要だと思っている人も多いし、

ある程度技を知った方でも

力で相手をねじ伏せようと思っている人もいる。

 

塩田剛三先生は、

警視庁の訓練生の指導では、

生徒が力を存分にいれようが、

注意しなかった。

むしろ、もっと力をいれろ!

という言葉も使っていた。

 

だが、

黒帯の人には

力んではいけないと、

諭す。

 

やはり、力を入れて稽古することは、

誰でも通る道だし、

必要なのだが、

ある程度上達した(魄が磨かれた)黒帯からは、

心の部分を学んで行かなくてはいけないのだ。

 

黒帯になっても、

相手を痛めつけて喜んでいるようであれば、

それ以上の上達は望めない。

 

実際黒帯になったら、手首が強くなり、

力で制圧するような技は効かなくなる。

 

そのため黒帯同士で技を掛け合っても、

効かないのである。

 

また、力で制そうとすると、

相手が嫌な気持ちになる。

 

塩田剛三先生の技は、

恨みを持たれるような負の気持ちを

相手に感じさせることは一切ないのである。

 

技が効かなくなってから、

どうしたら効くか考えることが

上達につながる。

 

技が効かないのは、

・腕の力が足りないからか

・相手を思いやる気持ちが足りないからか 

 

 

正解は後者だ!と、指導者が言ったとしても、

前者の道に進む人もいる。

 

自分で潜在的に、

気づかないといけないのである。

 

合気道は力で制すのではなく、

相手と調和して和すことなのだ。

 

 

なぜ、合気道は形稽古(かたげいこ)から始めるのか【守破離】



 

合気道には、決められた動き【形(かた)】がある。

仕手も受けも決められた動きがある。

 

初心者は、効果的な技が出来ないので、

受けが型通り動かなかったら、

仕手は型通り動かそうと、

力強く握って引っ張ったり、

押したりして無理やりでも

動かそうとしてしまう。

 

しかし、相手の手が、

掌が上だったり、手首を曲げてなかったり、

力が強かったり弱かったりしてようが、

本当は全く関係ないのである。

 

剛三先生の黒帯しか参加出来ない

黒帯会では、力強く持てと

剛三先生に指示されている。

 

受けている人も、中には

力を緩めて持っていたり、

ねじるように持っていたり、

効かないように持ち方を変えて、

こうしたら剛三先生は

どういう風にかけるのか、など試したりしている人もいる。

 

しかし、どんな持ち方をされても相和すことが出来るようになるのが、合気道だ。

 

それならなぜ形はあるのか。

 

武道には「守破離」という言葉がある。

 

 

守破離」とは、修行における段階を表したもので、

「守」は、師や流派の教え、形、技を忠実に守り、

身につける段階。

 

「破」は、他の師や流派の教えについても考え、

良いものを取り入れ、心技体を一致させていく段階。

 

「離」は、一つの流派から離れ、

独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

 

今、私たちが見ている合気道の達人である

植芝盛平先生(合気道創始者)や

塩田剛三先生は「離」を超えたものあり、

確立した段階である。

 

彼らの「離」を超えた技を見ても、

「守」を知らない僕たち見習いには

理解できないものである。

※下の動画は指の先まで、

 呼吸力・集中力を発揮している達人技である。

 

 

少しでも理解できるように

近づくためにはやはり、

「守」の徹底が必要だ。

 

 

植芝先生は形を持たなかったし、

教えるための形も作らなかった。

 

私たちに分かりやすいように形を作ったのが、

植芝吉祥丸先生であり、塩田剛三先生である。

 

本当にありがたいことである。

 

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守を究める