塩田 将大 Aiki Peace Seeker -合気道家-

★塩田剛三の孫が伝える【心】を豊かにする合気道★

「合気道は和の武道」塩田剛三!相手に馬鹿にされたとき、合気道家はどのような態度をとる?

相手に馬鹿にされたり、

見下されたりしたら、誰だって腹が立つことでしょう。

また、相手を憎んでしまうこともあるかも知れません。

 

誰しもコンプレックスはあり、

若い時はそこを馬鹿にされたりすると、

正常な状態ではいれないことが多い。

 

しかし、合気道をしていると、

相手を憎むとか、倒すとかそういう邪心が

なくなってくる。

 

 

合気道は和の武道。

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和の武道

 

他人に悪口を言われても動じない。

また、自分も心を取り乱さず、

常に素直な心でいることが大事です。

 

常に相手を許すような、

合気道の心が身についていれば、

達観し、自分に対する悪口も

些細なことのように思えてくるでしょう。

 

 

下記、塩田剛三の合気道人生より

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合気道人生

 

時には弱い者が強い者に

いじめられている場合に出会ったり、

正義に反する行為をしている者を見掛けたり、

自分の身が危険にさらされる場面に

遭遇することがないとはいえません。

 

その時は自分の習得した合気道を用いて

相手を制することも起こり得ましょうが、

いかなる場合でも、相手をにくんでカッカしないことです。

 

そうなると合気道で

大切な素直な心が失われ、

技は乱れ、思わぬ不覚をとったり、

また逆に限度を超えて過剰防衛になったりして、

相手を不幸にするとともに、

自らにも不幸を招きます。

 

合気道は和の武道であることを

常に忘れないことです。

 

「私は身長が一メートル五十四、

体重は四五キロぐらいの小柄な男なので、

よくけんかを売られたり、

つっかかって来られたりしました。

 

その時はできるだけ笑って

避けるようにしているのですが、

どうしても払いのけなければならない時もありました。

 

 

 

戦後の成人男性の平均身長が161.5cmなので、

当時の人から見ても塩田剛三は小さい。

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小柄な塩田剛三

 

また、武道をしていると言ったら、

周りの武道経験者が

馬鹿にすることも分かりますし、

当時は喧嘩っ早い人も多かったはずです。

 

からかわれても、どんな時でも、

平常心を失わなかったので、

塩田剛三先生は負かされることは

ありませんでした。

 

 

 

祖父・塩田剛三の著書【合気道人生】より「合気道と実践について」/合気道はやらせ?合気道は意味がない?

 

 

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塩田剛三


合気道はやらせだ!合気道は意味がない!と、

ネットにたくさん書いてあります。

 

それは合気道が実戦では使えないし、

相手がわざと動いてたりするように見えるから、

言われているようです。

 

本当に「合気道はやらせ」、「合気道は意味がない」のでしょうか。

私の見解は、以前ブログにも書いたので、

今回は祖父の見解から、

考えていきたいと思います。

 

 

祖父の著書【合気道人生】に

「実力の養成は試合で勝負を決するのとは無関係」と書いてあります。

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合気道人生

 

これは、試合で勝負をしなくても、実力はつく!ということ。

合気道は試合がありません。

 

試合をすると、勝たなくては!と思いますが、

相手と試合しなくても確かな実力が身につくということです。

もちろん、そのためには相手ではなく、

自分に勝つ厳しい稽古を毎日しなくてはいけませんが。

 

今の時代、試合とか実戦とか試す機会はありませんが、

合気道の形(かた)や護身技や、

実際襲われたとき役に立つのかな?と思っている方にも、

今回のブログを読んでいただきたいと思います。

 

以下は、祖父・塩田剛三の「合気道人生」より引用です。

※こちらは、絶版になっています。

 

 

実戦を経験した塩田剛三だからこそ分かる、

合気道と実戦」に関して述べています。

 

合気道は試合形式をとらず、

常に互いに仕手となり、

受け手となり、技の反復練習を行います。

そのために、よく若い人の中には、試合がないから、

自分が強くなったのかどうかよく分からないので

物足りないという人がいます。

ことにこの頃のようにスポーツが盛んで、

試合により勝負を決める場面に常に接していると、

なおそう思うのでしょう。

 

スポーツは一定のルールを決めてあるから、

その範囲で試合もでき、

勝ち負けを判定することもできるわけです。

 

しかし合気道はスポーツではなく武道です。

当然相手を倒すか、自分がやられるかです。

 

その時あれはルール違反だから

けしからんなどと言ってはおられません。

 

その場に即応した方法で

とにかく相手を制しなければなりません。

私も若い頃、稽古や演武では

自分の力はある程度分かっていましたが、

ただ己を信じ、己の稽古の中から

自然に力を養うことに努めていたので、

実戦の場合果たしてうまくいくのだろうかと、

疑問を抱いたことがありました。

 

しかしある時、自分が修得した合気道

こんなに威力があったのかとわれながら驚き、

合気道を習っておいてほんとによかったとつくづく思い、

自信が湧いてきたときの実例をご紹介しましょう。

 

 

それは昭和十六年(一九四一年)七月、

日本が米国に対して宣戦布告する約五ヶ月前で、

当時私は二十六歳でした。

父と親しく、私も可愛がられた

陸軍大将・畑俊六閣下が支那派遣軍総司命官で、

私をその秘書官として北京に呼んで下さった時のことです。

閣下の命令で飛行機でハノイへ行く途中、

上海で一休止のため飛行場に下り、

ぶらぶらしていたところ、

拓大時代の浦岡という後輩にばったり会い、

肩を抱き合って再会を喜びました。

この辺の経緯は第二部に述べておりますから

詳細は省略しますが、これからが本題です。

 

浦岡が「フランス直界の粋なところへ

今夜ご案内します」というわけで、

私も胸をふくらませて夜八時頃ある店の中までついて行きました。

部屋に通されてから、

浦岡が客引きのような男と

值段の交渉をしているうちにけんかとなってしまい、

いきなりその男の顔にパンチを食わしました。

男は唇から血をたらし、

何かわめきながら逃げて行きました。

私は意味が分からず、

ポカンとしていますと、

浦岡は真剣な顔で、

「先輩、もはや命は二、三分しかありません。

必ず仲間を呼んで仕返しに来ますから、

早く用意して下さい」と叫びました。

「逃げたらどうだ」 と私が言いますと、

「とんでもない。途中で殺されますよ。

明日の朝までは動けません」と

死を覚悟しているような硬い表情で言うのです。

私も二十六歳で、

上海のこんなところで生命を捨てるのかと、

はかない気持になった反面、

こんなところで犬死してたまるかと、

生きるファイトが湧き上るのを覚えました。

正に絶体絶命の立場です。

浦岡は職務上ピストルを持っていましたが、

私には身を守る武器はなにもありません。

周囲を見回すとビールビンがあったので、

よし、ドアが開いたら

このビンで一撃のもとに殴り倒してやろうと心にきめ、

構えていました。息をころした緊迫の時がつづきます。

実際はどれくらい時が経ったのか分かりませんが、

馬鹿に長く感じ、しびれを切らして浦岡に

「来ないじゃないか」 と言いますと、

「いや必ず来ます」と彼は断言します。

夜も更け、多分午前二時を廻った頃、

ヒタヒタという音が聞えて来ました。

それも複数で四、五人のようです。

私はドアのところにへばりつき身構えました。

その時体中が震えてきて、

止めようとしても、どうしても止まりませんでした。

いわゆる武者震いというのとはどこか違うようです。

私はドアを少し開けて、機先を制しようと考えました。

相手がドアのノブに手をかけた瞬間、

こちらからドアを中に引き、

転がり入ってくるところを殴り倒す作戦でした。

浦岡は薄暗くした部屋の中でピストルを構え、

ドアの正面を狙っていました。

やがて足音は一時ドアの外でピタッと止まりました。

ドアの隙間から外を窺うと、足音をしのばせて次第に近寄ってきます。

頃を見計らって、間髪を入れずドアをパッと中に開きますと、

相手は予期していなかったと見えて、

ツッと前のめりに一人が部屋の中に入って来ました。

そこでいきなりビールビンで頭を殴りつけました。

ビンは割れ、握っている部分の割れロがギザギザになり、

まるで鮫の歯のようになっていました。

すかさずそれを相手の顔めがけて突き出すと、

顔の真ん中に当たり、それをさらに一ひねりしたからたまりません。

鮮血がほとばしると同時にのけぞりました。

逃してはならないと部屋の中深く引きずり込みました。

この間の出来事はほんの一瞬のことでした。

まだ三人います。一人の大きな中国人がいきなり

蹴り上げて来ました。それを左横に体を開き、

蹴り上げて来た男の足を、後ろ向きになりざま

右手で叩きました。それもごく自然に、

さほど力は入れなかったのですが、

男はヘタヘタと坐り込んでしまいました。

後でわかったことですが、

その足の膝関節と骨が折れていました。

私は簡単に二人を打ちとってやっと気が落ちつき、

心にゆとりができたとき、もう一人が私の前面目がけてく突いてきました。

それを内側によけ、

四方投げの変形で手を逆にして、

相手の肘を肩に当てて、グッと極め、

投げ飛ばしました。男の腕は意外なほどもろく

肘が折れて前方に飛んでいきました。

これで三人を片づけたのですが、

この間の時間は何分とってはいなかったと思います。

のびている三人をベルトと紐で縛って、

悠々とした気分で一服しながら見ると、

最後の一人を相手に浦岡は倉闘中でした。

浦岡は柔道四段で格闘技はなかなか強く、

とくに彼のけんかぶりは大したものでした。たしかに、

残りの一人をきれいな跳ね腰や内股などで投げるのですが、

最後のきめ手がないため、投げられても

投げられてもまた起き上がってかかってくるといった具合で、

なかなか結着がつかず、力戦をつづけている最中でした。

私は合気道の当て身というのはどの程度きくのか

試してやろうと思い、

「僕に一度やらせろ」と言って、

浦岡に投げられて男が起き上がってくるところを、

肋骨に当て身を一発喰わせました。

男はウウウウとうめきながらのけぞり、

泡を吹いて倒れてしまいました。

以上はたまたま私自身が、

求めずして生きるか死ぬかの

実戦の場に立たされる機会に遭遇したから、

やむを得ず戦い、日頃の修練の結果を見ることができたのです。

自らの力を試すために人にけんかを売ったり、

そうした機会を自ら求めて作ったりすることは

絶対に避けるのがむしろ合気道の修行者の道です。

そんなことをしなくても、

合気道の理合いにかなった稽古を

ひたすら素直な心でつづけていれば、

その人の実力は高まり、その姿、形、動きの中に

バランスの美がにじみ出て来ます。

私どもは一見ればすぐ分かります。

 

 

当時は柔道も合気道も当身を重視していました。

 

塩田剛三は、「実戦では当身が七分で技(投げ)三分」

と言っています。

 

※上記の動画は当身を指導しているが、相手の不意を打つ当身はしていない。

 

実戦では、当身が必要なのです。

 

また、塩田剛三先生は、

「もう合気道は実戦で使われる必要はない。私が最後でいいんだ。

これからは和合の道として、世の中の役に立てばいいんだ。」

という言葉を残しています。

 

今の時代、当身を重視するのではなく、

理合(つまり自然に逆らわない動き)に合った技を行い、

相手と和すことを重要視してくださいということです。

 

実戦を重視してた時代は、

当身で歯を折る人もたくさんいた。

 

今の時代、歯を折ることが重要ですか?

合気道はその先にある神髄、

「相手と和すこと」を重要視しているのであり、

やらせでもなければ、

しっかりとした意味を持って行っている。


自由技(片手持ち各種)

合気道とは? 合気道の神様・塩田剛三から見た【合気道とは】

 

達人・植芝盛平先生、塩田剛三先生は合気道をどのように解釈していたのか。

お二方のような達人のお言葉を別の人が解釈したものでなく、

本人が語った言葉で、覚えておきたいと思い、ブログに書きます。

 

以下は、絶版になった祖父・塩田剛三の著書「合気道人生」から抜粋した言葉である。

 

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合気道人生

 

 

 

日本には各種の武道があり、それぞれの特徴をそなえておりますが、

合気道はその中でも、日本古来の純粋武道で、

中国その他外国より移入された武道ではありません。

 

現在では合気道といえば、ほとんどの方はその名をご存知ですが、

一般に普及しはじめたのは、戦後であるため、

新しい武道のように理解しておられる方も多いように思います。

 

しかし、合気道の源は古く、源義家の弟・新羅三郎義光

その基礎を開いたと伝えられています。

 

義光はクモが細い糸で大きな虫を巧みに捕らえるさまからヒントを得、

また戦死体や罪人の死体を解剖して、人体の構造を研究したとも言われています。

 

義光の館が「大東の館」と呼ばれたことから、

大東流合気柔術」と名付けられていました。

 

歴史的なことはここでは概略にとどめますが、

この技が後に甲斐の武田家に伝わり、

秘伝の武芸として門外不出のまま代を経て、

天正二年(1574年)に武田国次が会津にくだってから、

その子孫が代々継承し、「会津御留技」になっていたようです。

 

明治になってから、武田家の末裔・武田惣角先生が、

この秘伝を世に公開するようになりましたが、

それもごく一部にとどまっていました。

惣角先生の門人の一人に私の恩師故・植芝盛平先生がおられたのです。

 

植芝盛平先生は、卓越した天分のもとに、

大東流合気柔術を習得せられ、

さらに古来の各流各派の武道の精髄を取り入れ、

それに独自の工夫を加えて、現在の合気道を確立されたのです。

名実共に不世出の大名人です。

 

私は植芝盛平先生の道場に弟子入りした中学五年の時から8年余り、

ひたすら常住坐臥、先生の受けをとり、

先生の一挙手一投足を観測し、心の中まで入り込もうと努めました。

修行は一生続けるものだと知らされたのもその時です。

植芝盛平先生の偉大さについてはあとで触れることにします。

 

心・技・体一体となった時の素晴らしい合気道の威力、

また合気道は人を攻撃するための武道ではなく、

素直な心で、相手と和すことを旨とした、

いわば平和な護身術であること、

力の強弱、身長の大小や体重の軽重、

男女年齢に関わりなく技と心を習得できることを、

身をもって学んだ私としては、

この合気道を一人でも多くの方に理解していただき、

さらに進んで、また少しでも体験される機会を持っていただければ、

正しい合気道を通じ、国籍を越えて

世界の平和に多少でも寄与できるのではないかと信じ、

僭越ながら本書の刊行を企図した次第です。

 

塩田剛三

 

 

合気道とは、塩田剛三が言うように、力の強弱とは関係ない武道。

実際、塩田剛三は、身長154cm、体重45kgです。

合気道の本質を証明したような方です。

その師である植芝盛平も156cmです。

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塩田剛三とその師・植芝盛平

 

もともといろいろな武道を経験している2人ですが、

人を攻撃することではなく、相手と和すことが1番強いということに、

気づきました。

 

そこを念頭に置いておかないと、相手を痛めたり、

別の武道と比べてどっちが強いとか、

全然別の方向に向いてしまいます。

 

もちろん、合気道をする上で、痛いこと、大変なことは、

たくさんあります。

 

そんな時に、技を掛けるほうは、相手を思いやる技を、

技を受ける方は、自分の体を強くしてくれていると、

お互いが相手を考える合気道をしていけば、

技もどんどん上達していくと思います。

 

道場にある塩田剛三の写真について/恐ろしい事実を発見!?

道場に飾ってある写真

 

 

 

どの角度から見ても、

見られている気がする・・・

 

真っ直ぐ凝視するのではなく、

全体を捉えるような目で見ている。

 

あと、この写真は、

毎回表情を変える。

 

毎朝、写真の上にある神前を掃除する度に、

近距離で目が合うんだが、

表情が違う。

 

朝、家族の為に良い行いをしていなかったら、

その日の塩田剛三先生の写真は怪訝な顔をしている。

 

怪訝な表情をしている時は、

だいたい朝に徳を積むような行為をしていなかった時で、

振り返ってみると心当たりがある…

 

「うわっ!今日も怒ってる」

 

反省の意を込めて、

道場の周りの掃除を、

さらに入念に、

来る人のことを考えながら掃除をする。

 

そこでまた、肖像画を見ると、

怪訝な顔が少し和らいでいる。

「良かった・・・(*´з`)」

 

ただ、笑っている訳ではない。

 

「家族を思いやるのは当たり前のこと。

もっともっと周りの他人を考え徳を積みなさい」と

言われている気がする。

 

 

心が磨かなくてはいけないと、

毎回、戒められている。

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塩田剛三

 

 

実体験から感じた合気道の上達の秘訣とは?簡単なようで難しい、合気道上達で1番重要なこととは?

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思いやり


以前のブログで、

日常で徳(良い行い)を増やすことが、

合気道上達に不可欠だと伝えた。

 

和というのは、ちゃんとひとつ自分に強いものがあって、

そして相手を味方にする。協力者にしてしまう。

これが“対すれば相和す”です。

それには、よっぽど徳を積まんと出来ない。

塩田剛三

 

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塩田剛三

 

祖父・塩田剛三が創った合気道養神館では、

柔道・剣道で有段のもので、

なおかつ合気道の指導者を志すものが、

警視庁から派遣されてきて、

勤務時間ずっと合気道の訓練をするというコースがある。

合気道専修生というコースだ。

ここには警視庁だけでなく、

海外や国内から合気道の指導者を目指すものも集まってくる。

 

どんな稽古をするか具体的に言うと、

・1時間半、正面打ち一か条抑え(二)だけをしたり、

・受身を500回連続でしたり、

・構えをして、1時間じっとしていたり

 

稽古内容は厳しかった。

もちろん、肉体的には強くなったし、

手首関節も強くなった。

 

でも、何が1番自分を強くしたかって聞かれたら、

私はこう答えている。

 

・鏡を磨くこと。

・トイレ掃除をすること。

 

厳しい稽古だけしていても、

上手くはならない。

 

専修生コースは、

毎朝、稽古前の掃除から始まる。

1人1人に掃除の担当が、

割り当てられ、

私は男子トイレとトイレの鏡担当だった。

 

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鏡は、曇り一点も残さず、

新聞紙で磨き続けた。

トイレも全面あらゆる角度から見て、

汚れを残さぬように磨き続けた。

 

汚れを落とすことに一生懸命で、

習慣化されているので、

3ヶ月ほど経てば、磨くという行為を、

「無」の状態で行うことが出来る。

 

どういうことかと言うと、

身体が疲れてるとか、暑いな、とか

そういうことも、考えなくなるほど、

磨くことに夢中になれるということだ。

 

鏡を磨き続けると、

心に余裕が持てるようになる。

 

専修生の稽古は厳しい。

自分が生き残るのに必死になって、自分のことばかり心配していたが、

ある時から仲間の心配の方を先にする様になっていた。

 

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専修生の稽古イメージ

 

500回の受け身の後、余った時間40分?くらいを

正座して黙想で過ごす稽古をした。

正座している時、専修生の1人のマイクが

過呼吸気味になり、

倒れそうになっている。

 

黙想中で、目を閉じているが、

だんだんと呼吸が荒くなっているのが分かり、

心の底から心配した。

 

専修生は毎日限界を越えて訓練をしている中、

どうしても、自分のことが先決になってしまう。

相手のことを本気で心配することが出来たのは、

心に余裕が出来たからだ。

 

その余裕を作ったのは、厳しい訓練ではなく、

鏡を磨いたからだ。

 

また、相手を本気で思いやることが出来た時だけ、

手首が強くなっている専修生同士でも、技が極まってくる。

そこで、合気道は思いやることが1番大事なのだと悟った。

 

鏡を磨くことは、1つの例だが、

他人の為に、良い行いをし続け、

徳を積むことが

合気道の上達には不可欠だ。

 

日常から、相手の為に動くことが大事だ。

 

追記:

これは、昨日のこと。

 

松屋での話。

手っ取り早く食べれる牛丼チェーン・松屋に行った。

 

牛丼の大盛りを頼んだ。

 

半分くらい食べたところで、

おばあちゃんが、食券を買うのに戸惑っているのに気付く。

 

席を立ち、おばあちゃんが食べたいものを聞いて、

次来るときに困らないように、

食券を買って上げるだけでなく、

食券の買い方も教えた。

 

席に戻ると、食べていたはずの牛丼がない。

店員さんが間違えて片付けてしまったみたいだ。

 

まだ半分以上あったのに笑

 

ここでは情けは、自分に戻って来なかったが、

いずれ戻ってくると思い、

合気道家として、良い行いをし続けようと思っている笑

 

塩田剛三の合気道の構え(目付について)【すべては宮本武蔵が知っていた】

 

 

 

塩田剛三は、宮本武蔵が示した、

武道の基本を忠実に再現している。

 

・心の持ち方

・姿勢

について、前回のブログで記載してきたが

今回は、「目付」について。

 

「観の目」(かんのめ)、「見の目」(けんのめ)という

二つの目の使い方を上げる。

 

 

「目の付けやうは、大きに広く付ける目也。

観見二つの事、観の目つよく、見の目よはく、

遠き所を近く見、近き所を遠く見る事兵法の専也。

敵の太刀をしり、いささかも敵の太刀を見ずと云事、兵法の大事也」

 

( 訳 )
 「目くばりは、大きく広くくばるものです。観の目、すなわち心の目で物事の本質を見極める事に重きを置き、見の目、すなわち目で見えるもの、表面に表れた見える動きには余り重きを置かず、遠い所、大局をしっかりと掴み、細かい事はあまり拘らない、これは兵法の常道です。敵の太刀の手の内を知り、いささかも表面的な動きに惑わされないと云う事が兵法にとって最も大切な事です。」

引用:瀬戸塾新聞25号掲載記事

 

合気道の開祖・植芝盛平

「相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまう。

相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。

相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。

真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。

だから私はこのまま立っとればいいんじゃ。」

も同じことを言っている。

 

塩田剛三先生の構えは、相手を見ているようで見ていない。

相手の遥か先を見ている。

この動画の40秒~45秒を見ていただくとわかる。

相手を見ているようで、見ていないことが分かるだろうか。


塩田剛三

 

また、構えた時は、正面だけでなく、

真横も見えるような目付をしろとも言われた。

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構え

合気道は多人数で襲われた時も想定した稽古をする。

目の前の1人だけに目を奪われていたら、

次から次へと襲ってくる受けに対応が出来ない。

1人を見ているようで、自分の前方全体を見ている。


達人の合気を比較 多人数取り 砂泊諴秀 塩田剛三 [Aiki comparison]

 

植芝先生の相手の目を見てはいけないという言葉を勘違いして

全く、相手を見ない人がいる。

 

相手を見るが、見方が違うのである。

宮本武蔵の言葉を借りると、見の目ではなく、

観の目で見ることが大事なのである。

 

 

塩田剛三に学ぶ武道の基礎とは?(兵法の身なりについて)【すべては宮本武蔵が知っていた】

前回のブログの続き。

 

 

 

宮本武蔵は五輪書で、基礎の大切さを説いている。

その基礎の大切さを

・「心持」心の持ち方

・「兵法の身なり」姿勢

・「目付」目線

の観点から詳しく論じている。

 

今回は、2つ目

「兵法の身なり」と合気道の関連性について述べたいと思う。

これは、身体の構え方、姿勢について述べていて、

足の先から頭までどのようにしたら良いか詳しく述べている。

 

(原文)

身のかかり、顔はうつむかず、仰のかず、かたむかず、

ひずまず、目をみださず、額にしわをよせず、

眉あいに皺をよせて目の玉動かざるやうにして、

瞬きをせぬやうにおもひて、目を少しすくめるやうにして、

うらやかに見るるかを、鼻すじ直にして、

少しおとがいを出す心なり。

首は後ろの筋を直に、うなじに力を入て、

肩より惣身はひとしく覚え、両の肩をさげ、

脊筋をろくに、尻をいださず、膝より足の先まで力を入て、腰の屈まざる様に腹をはり、楔をしむると云て、脇差の鞘に腹をもたせ、帯のくつろがざるやうに、くさびをしむると云ふ教へあり。総て兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とすること肝要なり。よくゝゝ吟味すべし。

 

(現代語訳)

 敵と向かう時、顔は俯かせず、上げ過ぎず、斜めにせず、歪ませず、目をきょろきょろさせず、顔をしかめず、眉に力を入れて目玉を動かさず、瞬きを抑えて、遠くを見るような目で、落ち着いて眺め、鼻筋を通す様に真っ直ぐ立ち、少し顎を出す感じにする。

 首筋を伸ばし、うなじに力を入れ、肩から全身に気を回し、両肩は自然に垂らし、背筋をぴんとし、尻を突き出さずに、膝から下に力を充実させ、腰が屈まないように腹に力を入れ、クサビを絞めると言われるところの脇差しの鞘に腹を押しつける感じで、帯が緩まないようにするという古来の教えに従え。

 全てに於いて、兵法をやるからにはこの姿勢を常に保つことが大事だ。よく考えて工夫すべし。

参照:https://ncode.syosetu.com/n6168h/2/

 

 

塩田剛三先生の構えの姿勢で、

初心者だけでなく、

黒帯もなかなか意識できないことは、

首筋を伸ばし、うなじに力を入れること。

 

構えた時に

指をピンとはり、

上の手の中指から気を出すかのようにはって、

その気が地球一周して、

自分の首に戻ってくるように首もピンと張れ!と

塩田剛三先生は、述べていた。

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構え

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構え


 

来る日も来る日も「臂力の養成」(基本動作の1つ)の練習をしていた内弟子が、

ある時、「臂力の養成」が出来たと感じた。

 

深夜に別の内弟子を起こし、

両手で力強くもってもらい、

臂力の養成を試した。

 

簡単に相手を崩すことができた。

その時はだれを相手にしても、

技が効き、合気道を会得したと感じた。

 

その日、塩田剛三先生に技を見てもらった。

しかし、さらに高段の受けを相手に技が効かなかった。

 

塩田剛三先生が一言。

「首がだめだ。。。」

 

首は意識しないと、

なかなか、ピンと張れない。

 

普段、技をひたすら行っても、

ある程度までしか行かず、

技で首も使えるようにならないと、

塩田剛三先生の境地には一生たどり着かない。

 

宮本武蔵はすべてを知っていた。

普段意識していないところも、

意識して鍛錬する。

 

達人になるには、

相当険しい道のりなのだ。

 

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宮本武蔵