塩田 将大 Aiki Peace Seeker -合気道家-

★塩田剛三の孫が伝える【心】を豊かにする合気道★

謎に包まれた養神館の合気道専修生コースとは?体験者が語るその内容とは?

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専修生の時

自分の中で、大変で自分の未熟さを知り、

その後の人生を変えた2つの出来事は、

受験の時と、専修生の時だ

 

受験の時を話したブログ↓

 

私は祖父・塩田剛三が作った合気道養神館で、

専修生というコースを受けました。

 

 

専修生は、

警視庁専修生と国際専修生があります。

 

警視庁専修生は、警視庁から、

柔道、剣道の黒帯が集まり

国際専修生は、国籍を問わず、

国内外から集まり、

合気道の指導者になるために

稽古を行います。

 

黒帯を持っていても、

専修生はみんな白帯からスタートします。

 

この制度は、もう60年以上続いています。

※国際専修生制度は30年くらい。

 

稽古時間は、公務員の勤務時間通りです。

(だいたいは)朝8時半に始まり、

夕方5時半に終わります。

8時半になったら、道着に着替え、

朝9時キッカリにそれぞれ割り当てられた掃除を行います。

 

掃除で、40分くらいかかってたと思います。

掃除後、申告というものを行います。

 

申告とは・・・

専修生皆一列に並び、その日に道場にいらっしゃる一番偉い先生に、

挨拶を行います。

専修生代表「●●師範に礼」

➡みんな合わせて礼をする。

➡専修生代表が一歩前に出て、

 向きを変えてその先生と向かい合い、

 一礼する。

専修生代表「●●専修生(●●は自分の名前)他、〇名。

本日の稽古よろしくお願いします。」

➡専修生代表と先生が一礼する。

➡専修生代表は元の一列に戻り、

➡専修生代表「●●師範に礼」

➡みんなそろえて礼をし、「押忍」

➡先生〈今日も頑張って的なことを言う先生もいれば、何も言わずに

 例をして、戻る先生もいる)

➡先生がいなくなるまで、ずっと礼をしている。

 ドアが閉まる音で、先生がいなくなったことを察知し、

 顔を上げ、道場に向かう。

 

言葉で説明するのは難しいが、こんな感じ。

 

その後体操をし、

基本稽古5分前に道場で正座して黙想をします。

 

 

専修生は、

週5日仕事と同じ時間道場で過ごし、

合気道に専念します。

警視庁専修生は、9ヶ月。

※昔は3年

国際専修生は、1年行います。

 

1コマ1コマ先生が変わります。

 

警視庁の合気道のトップで指導されていた先生が、

退職後、専修生の先生になることが多く、

私も運が良いことに4人の警視庁の先生に

関わることが出来ました。

1人の先生は、稽古で教わったことはないけれど、

お話しを何回か聞くことが出来ましたので、

一応4人ということで

 

その4人の先生は、40年ほど前に警視庁専修生として、

塩田剛三に教わっていた方々です。

 

今回は、その先生方のお話しをしたいと思います。

 

4人の方々は養神館の警視庁専修生をしていたという

共通点はありますが、それぞれ専修生をする前、

もしくは後に

A先生はフルコン

B先生は養神館一本

C先生は大東流

D先生は合気会と、

それぞれ、経歴が違い、指導も全く違います。

 

どの先生も、当時を思い出して、

「塩田剛三先生はずごかった・・・」と、

目を輝かせて言っていました。

 

いずれも、40年以上合気道を続けられて、

素晴らしい先生方です。

 

その4人の先生に関して、

どのような指導を受けたのか

お話ししたいと思います。

 

まず、A先生。

A先生は身体も大きく、

いかにも格闘家という方。

土曜日のお昼13時~担当されていた先生ですが、

1年の稽古のうち、

9割が四方投げと肘締め、受け身だけでした。

 

A先生は当時65を過ぎていましたが、

顔面あり(もちろん、ヘッドギアあり)の、

格闘技をしていました。

 

そのためすぐに実践にこだわる方だったので、

四方投げ、肘締めを選んだのかもしれません。

 


【7級】片手持ち四方投げ(一) Katate mochi siho nage 1

 


胸持ち肘締め(二)

 

上の2つの動画は形(かた)なので、

ゆっくりですが、A先生の稽古では、

いかに早く技をかけるかを重視していました。

 

持たれたらすぐ、技をかける。

それをひたすら、早い人に合わせて稽古を行っていました。

 

受け身は、30本を何秒で出来るか。

30秒で何回飛躍受け身できるかなど、

周りと競い合うような稽古をしていました。

 

 

風邪を引いたときに、その稽古を行い、

頭がガンガン揺れながら、

受け身を取ったのを覚えています。

 

 

B先生について

 

この先生は養神館一筋でした。

警視庁にいながら、

自分でも道場を持ち、

神奈川の方で指導をしていました。

 

生涯、常に塩田剛三先生を考えていた方だと思います。

 

60を過ぎて病気になり、

肩と、大胸筋がつながる筋肉が使えなくなったときに、

塩田剛三先生の言ってた意味が分かるようになったんですって。

 

私が教わっていたのはB先生が66歳くらいかな?

常に塩田剛三先生の合気道を研究されていて、

稽古時間が過ぎても、教えてくれるほど、

指導にも熱心な方でした。

 

10時から11:30までの稽古でしたが、

12:00過ぎまで教えていただいたこともあり、

昼食が食べれなかったのを覚えています(笑)

 

C先生は、大東流出身の先生。

今の私の稽古の仕方は、

C先生に1番近いと思います。

 

毎週、C先生の稽古は楽しみでした。

C先生はすごい小柄な先生。

160あるかないかくらいだと思います。

 

ただ、威力が抜群。

二か条を受けて、その衝撃で膝から崩れ落ち、

膝を畳にぶつけて、

傷めたのを覚えています。

 

二か条をされて、膝を怪我したのは初めてでした。

 

C先生の技は、どれも痛くなく崩れるんですよね。

当時の私には革命的でした。

 

D先生には、直接教わったことはないのですが、

合気会出身で、今も合気会として道場を持って、

指導もされているし、養神館でも指導している。

 

最初、私が合気道を始める前にお話ししました。

D先生は、塩田剛三のビデオを再生しては戻し、

擦り切れるくらい見たとおっしゃっていました。

 

で法則に気付いて、

塩田剛三の肘が真下に落ちているとか。

この時は、塩田剛三先生は話しながら、

重心を移動しているとか。

 

その話をしているD先生は、

当時合気道を知らない私にも、

熱意を込めて語っていたのを、

今でも覚えています。

 

当時教わることが出来なかったですが、

演武を見ても、D先生のすごさが分かり、

D先生に教わっていた警視庁の生徒は、

幸せだなとつくづく思います。

 

もちろん、他の養神館の先生も素晴らしいです。

 

いくつになっても、

合気道の研究をされている方は、

流派関係なく、カッコよいです。

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私の次の代の専修生

 

合気道の達人に近づくために、鍛えなくてはいけない身体の部分はどこ?

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合気道はどこを鍛えなくてはいけないのだろうか?

 

塩田剛三先生の合気道には、

基本動作が6つあります。

 

最初は一人で、

基本動作を行い、

安定してきたら、

相手と一緒に行います。

 

基本動作はこんな感じです。

➡体の変更(一)


【9級】臂力の養成(一) / 正面

 

 


【9級】臂力の養成(二) / 横

 

塩田剛三先生は、

この基本動作で行う、

重心の変化が重要だと述べています。

 

合気道は力で行う技ではありません。

なぜ、威力が発揮するかというと、

肩から手までの筋肉を使うのではなく、

下半身を使うからです。

 

だから、合気道は小さい方でも、

相手を崩すことが出来るのです。

 

以下、塩田剛三先生が、

合気道の重心の重要さについて述べた文章です。

 

今まで述べた1から3の合気道の基本は、

いわば常に見失ってはならない合気道の心構え、

あるいは比喩的にいえば、

心の重心と言えるかもしれませんが、

それに対し、ここで述べる体の重心は合気道の技の

効果を最大にする体勢の基本になるものです。

 

今まで述べた、1から3というのは、

1.素直な心 2.動中に静を持す 3.対すれば相和す

のことです。

以前、ブログで書いたのでこちらを参考にしてください。

(1)素直な心

 

(2)動中に静を持す

 

 

(3)対すれば相和す

 

 

 

 

体の重心は足の指先から膝、腰、体が一体となり、

真直な一線となってつながり、

あたかも大木が地上に根を張った形がとられたとき、

最も安定するのです。

 

膝、腰、体がばらばらだと、

強い姿勢で踏ん張って構えている相手を動かせません。

つま先が動き、その動きが腰や手にも伝われば、

いとも簡単に相手を崩すことが出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

この重心の安定は後に述べる呼吸力とともに、

力の集中を強大にする重要な要素の一つです。

もとより、技をかける、体を移動するなど頻繁に、

しかも速やかに体を動かします。

そこで大切なのは、

どのように動いても、

それに応じて、重心も当然移動させなければなりません。

そのときどのように重心が移動しても、

その重心は動きにつれて常に最も安定した形を

保っていなければ、強い力は発揮できないのです。

あと、これもよく子どもから質問されることが、

多いんですが、

「なんで合気道は蹴りがないの?」って。

 

子どもは空手とか、戦隊モノを見てるから、

蹴りに憧れるんですよね(笑)

 

合気道に蹴りがない理由は、

蹴りをしている間、身体が不安定だからです。

 

塩田剛三が言うように、

合気道は技を掛ける時も、

常に安定した姿勢でないといけないのです。

 

 

 

しかし、これがなかなかむずかしいのです。

構えをとっているときは一応重心が安定していたとしても、

次に動いた瞬間、一本の線が崩れ、

重心がばらばらになったり、

浮き上がったりしがちです。

これには相当の研究と熟練が必要です。

たとえばよくお互いに、二ヶ条という技をかけ

合っても熟練してくるとなかなか利かなくなるの

を見かけます。

 

それをよく見ていますと、相手の

力の流れと自分の力の流れがどこかでぶつかり合

ってしまっているか、

重心が乱れて浮いてしまっているか、

あるいはその両方の場合がほとんどです。

 

黒帯の相手の手首は強いんです。

力を入れると、どうしても、相手の強く絶えれる位置を

攻めてしまいます。

自分の肩の力を抜いて、

つま先・腰から発する力を、

指先まで伝わるようにします。

 

 

つまり、今まで述べてきた、

基本の心がバランスよく保たれていないからです。

 

「ボクシングを見ていても、

手先だけで相手を打ってもパンチは利かず、

いわゆる腰が入ったときのパンチが利くのは、

やはりこの重心の問題といえましょう。

 

たとえ重心が安定していても、

相手の力の流れをよくとらえて、

それに自分の力を合わせないと技の効果は半減します。

 

また相手の力の流れは、

各人各様のところがありますから、

それを見抜いて対処することが相手を制する道なのです。

 

これは相当の熟練者でもなかなかむずかしいのは事実です。

絶えざる日頃の研究と訓練によって、

皮膚で体で知る以外には方法がないと言えましょう。

 

塩田剛三著「合気道人生」より 

 

 合気道で袴を履く理由は、

足の動きを相手に見せないためでした。

 

つまり、足に合気道の秘密が隠されているってことですよね。

 

小さい者が大きい相手や、

より力のある相手を崩すことが出来るのは、

足の力を使い、重心を変えているからです。

 

そのため、基本動作を繰り返し行い、

ぶれない軸を作ることが重要です。

 

ただ、それだけでは相手を崩せません。

 

相手にもたれているところ、

例えば下の動画でいえば、手首、肘、肩など、

いろいろなところを持たれています。

 

その持たれているところに、

足を含めた身体全体の力を伝えなくてはいけません。

 

つま先に力を入れて、

それが、ふくらはぎ、もも、腰、背中を通って、

肩、肘、手まで伝わらないといけません。

 

そのためには、余分な力を抜かないと、

難しいです。

もちろん、ただ力を抜くのではなく、

力を抜いても軸は保たないと効果はないです。

 

塩田剛三先生は、指の先まで、

全身の力を伝えることが出来ました。

 

ここまで出来ないと、

塩田剛三のよく見られている動画、

下の1:33秒の、指でつくことなんて出来る訳がないんです。


塩田剛三/合気道養神館

 

合気道の基本/塩田剛三の言う「対すれば相和す」とは?合気道家が心に留めておく極意とは?

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合気道の神様・塩田剛三

合気道は基本がすべてだ!

と、合気道の達人・塩田剛三は言います。

 

それでは塩田剛三先生の言う、

合気道の基本とはどういうことでしょうか。

 

合気道をこれから始める人も、

合気道を長くしている人も、

技を覚えたりするだけでなく、

いつでも基本に立ち返らなくてはいけません。

 

塩田剛三先生が述べる合気道の基本は7つあります。

 

1、素直な心

2、動中に静を持す

3、対すれば相和す

4、体の重心

5、タイミング

6、呼吸力と集中力

7、円運動

 

この7つの基本を完全に身に着け、

これらが瞬時にして、

無意識のうちに技に出れば、

相当の達人になることができます。

 

今回は3つ目の「対すれば相和す」について。

有名な言葉ですね!

 

相手がたとえ、

身体が大きくても、小さくても

性別が違っても

年齢が違っても

性格が全く違う人でも。

究極を言えば、自分を殺しに来た相手でも、

向かい合ってしまえば、

仲良くなれる。

ということです。

 

合気道では、相手を倒すという考えではなく、

相手と仲良くなるという考えのもと、

稽古を行っています。

 

相手の性格も知らない人と仲良くなるって、

相当難しいことですよね?

 

自分のプライドとか捨てなくてはいけないし、

知らない相手も思いやらないといけないし、

 

ただ思っているだけではなく、

技に反映されるまで、

潜在的に思えるようになることが、

重要です。

 

以下、塩田剛三の著書「合気道人生」より、

合気道の基本「対すれば相和す」について、

述べた文章です。

 

 

対すれば相和す。

これは伝説上の人物、鬼一法眼の言葉とされて

いますが、合気道は相手と気を合わせる武道です。

 

※鬼一法眼は武道の神様とも言われていて、

彼が後の剣術や現在の剣道を創ったとも言われています。

牛若丸(小さい頃の源義経)に剣術を教えた天狗ではないかとも

言われる伝説の人物です。

 

 

つまり、力の揉み合いをしない、

押されれば押し返さない。

引っぱられたら、引っぱり返さないで

相手と相和す。

これも合気道の大切な基本の一つです。

ここにも先に述べた素直な心がなければ

相和すことが出来ないのはもちろんです。

 

前回書いた、合気道の基本「素直な心」ついてのブログはこちら

https://www.shioda-aikido.tokyo/entry/%E5%A1%A9%E7%94%B0%E5%89%9B%E4%B8%89/%E5%9F%BA%E6%9C%AC

 

和は妥協ではなく適合なのです。

相和すことによって、相手と一体となって一つの流れになり、

両者の力が衝突し合わないから、

無理な力を要せずして技がほどこせるのです。

非力な女性でも、少年でも、

高齢者でも合気道をつづけられるのは

このためで、合気道はそもそも自分の方から

人に攻撃をかける武道ではなく、

護身術であるから、

相手の出方に応じて相和すことができるのです。

常に相手の力の流れが先にあるからこそ、

その動きを自分の体の動きに合うように誘導して、

技がかけられるわけです。

 

相手の手は相手という考えではなく、

相手の手も自分の手と考えると、

ばらばらになりません。

 ※座り技両手持ち呼吸法(一)

 

 

このように相手と自分が一つの流れになるから、

熟練者の演武を見ていると、

その合わせるタイミングが実に見事であるため、

合気道を知らない方の中には、

八百長ではないかと疑う人があるほどです。

 

しかし、ご自分が合気道を始めてしばらくすると、

その見方の誤りにすぐ気づくはずです。

 

「合気道の演武の際、仕手はもちろん受け手も、

熟練者であればあるほど、

また両者とも心・技・体のバランスがとれ、

呼吸が合えば合うほど、

芸術的な調和の美が醸し出されるものです。

その美は踊りや体操の優雅な美とは異なり、

秋霜の美とでも言うべきでしょうか。

私は、合気道の基本の一つであるこの、

対すれば相和すを、すべての人が生活の基本にすれば、

世の中の争い、相克はなくなると思うのです。

和の武道である合気道を通じて、

人の和、民族の和、ひいては

世界平和に寄与したいという私の夢は、

ここから発していることをご理解頂ければ幸いです。

 

 

皆が、合気道の極意を学び、

相手と和そうと努めれば、

相手と争いを生まないし、

世界平和につながってくると思います。

 

強くなると思って稽古するのと、

相手と仲良くなるって思って稽古をするのと、

全然技が代わってきます。

 

私は警視庁とも訓練していましたし、

強者が集まる養神館の本部で稽古をしていたので、

最初の3年は「強くなる」という稽古しかして来ませんでした。

 

しかし、周りも強くなるし、

力と力でぶつかり合って、

結局技が極まらなくなってきます。

 

上の動画は、手首が強くなった黒帯に対して、

どのように技を行うか説明したものです。

二か条という技で説明していますが、

合気道の技はすべて共通して、

相手を痛めず、和すことが大事です。

 

私が指導で伝えるのは、

「相手の皮膚の細胞を痛めない」

「逆間接を極める技はない」

と伝えています。

 

養神館で習っていた方は、これを言うと、

肘当て呼吸投げや、肘締はどうなんだと

言うかもしれない。

でも、すべて合気道は同じです。

肘関節を痛める技があったら、

老若男女出来ないし、

植芝盛平と塩田剛三が言う言葉と反します。

 

合気道が上達していく上で、

「この技はこうやるんではないか」と、

自分で悟ることがあると思います。

 

ただ、その悟ったことが、

植芝盛平と塩田剛三が言っていることと、

反しているのでは、

考え直した方が良いかもしれませんね。


達人の合気 塩田剛三の奥義を解明 Shioda Gozo [Master of Aiki]

 

 

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なぜ、合気道を始めたか?塩田剛三の孫が合気道を始めたきっかけとは?

ちょっと、息抜きに自分の話しを少し!

 

合気道を始めたきっかけを話したいと思います!笑

 

Q「塩田さんは、小さい頃から合気道してたんですよね?」

 

A「いやいや、大学2年からです。笑」

 

塩田剛三の孫なので、小さい時から合気道をしていたと勘違いされる。

 

小学校は野球

中・高はサッカー

大学1年はストリートダンス

大学2年から合気道を始めた。

 

私は3男で、親から「合気道をやれ」と

言われたことは無かった。

 

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小学生1年の時に、祖父がTVに出た。

 

それ以降

周りの友達から、

「お前のおじいちゃん夢に出てきたぞ」と、

バカにされたことがあり、

合気道という言葉もを口に出すことはなかった。

 

大学受験浪人中、北海道から来た友だちが、

「まさか塩田剛三の孫ではないよね?」と

質問してきた。

 

周りにいた友だちも塩田剛三を知っていたらしい。

「あのグラップラー刃牙の漫画のモデルの?」

同年代の子たちは、グラップラー刃牙という漫画経由で

塩田剛三を知っていることが多かった。

 

 

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※祖父がモデルのグラップラー刃牙のキャラクター

 

大学に進学した際も、

周りで塩田剛三のことをyoutubeで見たことがある人も多かったし、

駒場東邦という高校では、

体育の時間に塩田剛三のDVDを見させられたらしい。

 

周りが、そう言うもんだから、

塩田剛三をググるようになった。

 

塩田剛三のyoutubeを、

「これ、ほんとなのかな?」と、

疑いの目でずっと見ていた。

 

YouTube のおすすめ動画に、

毎回塩田剛三が出てくるので、

気づいたらクリックしていた。

 

そこで、ようやく合気道に興味を持ち始めた。

 

しかし、まだ「合気道をやる」と、

行動には移せなかった。

 

自分は、武道とは無縁で、

ずっと別の競技をしてきたし、

今から出来るのかな?という気持ちもあった。

 

浪人中、駿台予備校に通っていた。

第一志望の大学に進学するために、

朝5時に起きて、勉強し、

電車の中でも英単語、駿台の門が開くまで、

立ちながら勉強。

 

そこで、毎日5限まで授業を行い(授業をサボったことは一度も無い)、

その後自習室で、

駿台が閉まるまで(9時だっけな?9時半だっけな)勉強した。

 

1日16時間勉強した。

 

このような生活をしてたもんだから、

8月末に病気になってしまった。

 

勉強をしたいんだが、鉛筆を持つのにも、

手が震えて、勉強ができなくなった。

 

そんな日がどんくらい続いたんだろ…

1ヶ月くらいだと思う。

 

駿台予備校のトイレで泣くことも多かった。

何で鉛筆が持てないんだろう…

 

決断し、母に「オレ大学行くの辞める」と、

伝えた。

予備校行くお金も払ってもらっていて、

大変申し訳ない気持ちでいっぱいで、

弱音を見せたくなかったが、

どうしようもない今の状況に、

勇気を振り絞って母に伝えた。

 

母は「別に良いんじゃない?

専門学校とか行って好きなことやるんでも良いし、

大学に行かなくても良いんじゃない?」

 

この一言に大分救われた。

模試では成績は良かったし、

大学行くのが、当たり前だと思っていた僕は、

相当なプレッシャーを感じていたと思う。

 

そのプレッシャーから解放されて、

初めて本当の自分に戻れた気がした。

 

そのあと、鉛筆を持つ度に手が震える発作は

完全に無くなった訳ではないが、

そうなった時は休めば良いと、気楽な気持ちになれた。

 

9月に受けた模試は、成績がグッと落ちたが、

12月の模試は、大分取り戻せた。

 

周りにも未だに言っていないのだが、

発作が起きても大丈夫なように

大学受験は全て別室で受験している。

 

何で、こんな話しをブログに書こうと思ったのか、

ちょうど2月25日、26日が受験日で

当時のことを思い出したからかもしれない。

 

僕の大学浪人時代は、相当大変だったが、

今となっては、自分の弱さを知ることが出来た、

よいきっかけであり、良い思い出である。

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※駿台予備校の仲間

 

話しは脱線したが、

そんな受験期を過ごし、

大学1年生の時は完全に燃え尽き症候群になっていた。

 

バイトしては、遊び、たまに大学に行くという生活を1年。

大学の単位は、かなり落としていた。

完全に親不孝ものである。

 

自分でも、あんなに頑張ってた時期と

今のギャップに嫌気が差してきた。

「自分を変えないとな」と。

その時、頭に思いついたのが、

合気道だ。

 

塩田剛三の技を見るたびに、

だんだんと興味が湧いていたし、

本当に受けがこうなるのか、

試してみたかった。

理系の研究したい血が騒いだのだ笑

 

これが合気道を始めたきっかけ。

ワクワクする気持ちを抑えきれず、

父もいる、合気道の道場「養神館」の門をたたいた。

 

受験に成功していたら、

合気道には出会えなかったと思う。

 

上手いように世の中出来てるなって笑

 

合気道をすればするほど、

塩田剛三の偉大さが分かってくる。

 

 

 

合気道は、知れば知るほど、

楽しいし、ミステリアスな世界だ。

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ミステリアス

 

最初は痛いことも多いし、

形(かた)を覚えることが大変だ。

 

スポーツと違って、

達成感を感じること回数も

少ないし、孤独と戦うことも多い。

 

しかし、まずは3年は続けてほしい。

3年続けば、最初に分からなかった

合気道の楽しさが見つかり、楽しくなる。

 

 

 

こんな素晴らしい武道・合気道に出会えたことを

すごく幸せに思う。

 

 


DAIGO vs 合気道の達人・塩田泰久 塩田剛三の深イイ話 Shioda Gozo

 

 

 

 

 

 

塩田剛三/合気道の基本【合気道家が絶対に抑えておかなくてはいけない合気道の基本とは?】

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塩田剛三の構え

塩田剛三先生の言う、

合気道の基本とはどういうことだろうか。

 

合気道をこれから始める人も、

合気道を長くしている人も、

技を覚えたりするだけでなく、

いつでも基本に立ち返らなくてはいけない。

 

塩田剛三先生が述べる合気道の基本は7つある。

 

1、素直な心

2、動中に静を持す

3、対すれば相和す

4、体の重心

5、タイミング

6、呼吸力と集中力

7、円運動

 

この7つの基本を完全に身に着け、

これらが瞬時にして、

無意識のうちに技に出れば、

相当の達人になることができる。

 

前回は、1つ目の基本「素直な心」について述べた。

今回は2つ目基本の、「動中に静を持す」について述べる。

 

禅の世界では、

自分がどういう人間か

見つめる悟りの世界を「静」。

「動」は掃除などの動作のことを言う。

 

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禅寺

 

つまり、「動中に静を持す」とは、

合気道という動きの中に、

自分とはどういう人間かを悟ることを

指すのではなかろうか。

 

以下、塩田剛三が、

著書「合気道人生」で合気道の基本について語った、

第2項目「動中に静を持す」について述べている。

 

 

 

禅は静中に静を求めるとすれば、

合気道は動中に静を持すことです。

 

合気道の技には当然動きがあります。

どのような動きの中でも、

常に素直な心を失わず、平常心を保つことです。

 

合気道は元来相手の動きに

自分を合わせて動き、

また相手の力に逆らわず、

むしろ相手の力を自分に取り入れて、

時にはその相手の力を誘導するだけで、

時には自分に取り入れた相手の力に、

自分の力を添えて相手を制するのです。

 

この間、瞬時でも素直な心を失うと、

相手の動き、相手の力の流れを見失い、

それとぶつかり合ったり、ずれたりして、

技の効果を殺してしまうことになるからです。

この場合自分の方が力が強ければ、

その力で相手をねじ伏せられるかもしれませんが、

それは合気道で制したのではなく、

力で勝っただけです。

動中に静を持してこそ、

相手の動き、相手の力の流れがよく見えてくるのです。

 

正しく技をかけているつもりでも、

相手にその技が通じなくて、

きかない場面をよく見かけます。

この時は相手の動き、

相手の力の流れにどこかで

ぶつかり合っているからです。

 

相手を倒そう、

相手をやっつけようという気持が強くなり、

素直な心で相手を見る余裕を

失ってしまっているのです。

 

私も初心者の頃、

先輩に手を持たれ、

投げようと技をかけても、

がっちり持たれた手が動かず、

困っていました。

たまたま植芝老先生がそれを見ていて、

私にこう言いました。

「塩田はん、あんたは、そんな実力ではないはずや。

手の方に気をとられて、力みすぎるからいかんのや。

相手の目を見てれば全体がわかり、

簡単に技がかかるのや」と。

 

そう言われればたしかに腕にばかり気をとられ、

飛ばしてやろうとすることに熱中していたのです。

 

つまり素直な心を失って、

相手の力の流れを見失っているばかりか、

自分の体の重心が浮き上がり、

体全体が一体となって初めて

発揮できる集中力がバラバラに

分散していることに気づかなかったのです。

 

その時先生が言われた言葉の意味は、

素直な心で相手の目を見れば、

相手の全体、力の流れもわかるとともに、

それに対する自分の全体も映るということだったと

悟りました

それからは大切な研究課題として、

稽古のつど心がけるように努めました。

 

先生は決してこの技はこういうようにするのだ」

というような教え方をせず、とにかく稽古に励めと

言われ、また「覚えて忘れろ」とよく言われました。

このことは、武道は頭で覚えるものでなく、

体で覚えろという意味もありますが、

もっと大切なことは技の一つ一つの習熟以前の問題、

心構え、つまり素直な心で相対すれば、

相手も見えると同時に自分も見えてくる、

その大切な基本を本能的に身につけろ

ということだと信じます。

それだから相手が短刀、剣、棒等の

武器を持っていようと、

相手が多数であろうと、

少しも動じる必要はないのです。

 

植芝先生が詠まれた歌があります。

 

取りまきしの槍の林に入る時はこたては己が心とぞ知れ

 

塩田剛三

 

ちなみに最後の歌

「取りまきしの槍の林に入る時はこたては己が心とぞ知れ」

たくさんの槍で突かれたとしても、

【自分の心】が自分を守るのだ。

という意味。

 

 

 

技を掛ける時には、一切相手を倒そうと思っていない。

「技を掛ける」という意思が働くと、だれも動いてくれない。

人間そんなに甘くないのだ!!

 

そしたら、どういう時に、

技が極まるのか。

 

うーーーーん。。。

なんも考えていない時ですね(笑)

 

 

芯は通っているが、

指先まで優しい力で、

相手を撫でてあげると、

不思議と相手が動くんです。

 

ロシア人のような大きな方が、

力で腕を固めていても、

全く関係ない。

 

「指先まで優しい、でも重い」という感じで、

技を極めれば、相手も嫌がることなく、

崩れてくれます。

 

合気道は全く力の世界ではなく、

ご高齢でも女性でも出来る武道なんだな

とつくづく感じています。

 

 

まとめ

合気道という動きの中に

常に相手に対する純粋で優しい心を持てれば、

相手も自分も分かってくる。

 

 

塩田剛三「合気道では基本がすべて」/初心者も黒帯も見直すべき合気道の基本とは?

塩田剛三先生が言う「合気道の基本」とは

どんなことだろうか。

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??????


 

 

塩田剛三先生は合気道は基本がすべてだと、

繰り返し言っている。

 

私たち塩田剛三先生の合気道を習っている人々は、

合気道の基本といったら、

基本動作6つ

・体の変更(一)

・体の変更(二)

・臂力の養成(一)

・臂力の養成(二)

・終末動作(一)

・終末動作(二)

を言うのかな?と思う人が多いだろう。

 

確かに、動きの基本は上記の6つなのだろうが、

塩田剛三先生は合気道の基本は、

動きだけでく、心の部分も述べている。

 

塩田剛三先生の言う、

合気道の基本とはどういうことだろうか。

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塩田剛三の構え

 

合気道をこれから始める人も、

合気道を長くしている人も、

技を覚えたりするだけでなく、

いつでも基本に立ち返らなくてはいけない。

 

塩田剛三先生が述べる合気道の基本は7つある。

 

1、素直な心

2、動中に静を持す

3、対すれば相和す

4、体の重心

5、タイミング

6、呼吸力と集中力

7、円運動

 

この7つの基本を完全に身に着け、

これらが瞬時にして、

無意識のうちに技に出れば、

相当の達人になることができる。

 

今回は1つ目の合気道の基本

「素直さ」について、

考えていきたいと思う。

 

下記、塩田剛三先生の著書「合気道人生」より、

合気道の基本「素直な心」に関して述べた文章だ。

 

 

何事をやるにしても基本が重要ですが、

合気道においてはとくに基本が大切で、

基本がすべてであるといっても過言でないと、

今まで繰り返し述べました。

それでは合気道の基本とは何かについて

ふれてみたいと思います。

 

「素直な心」

 

稽古をするときには、

すべて雑念を去り、

素直な心になることです。

無心になって一つ一つ稽古を反復することです。

 

無心になるというのは意外

にむずかしいことです。

ですから最初は意識して

雑念をしりぞけるように努力します。

 

禅で初めに

坐禅を組んで無我の境地に

達するようにするのと

同じといえましょう。

常に無心になろうと繰り返すうちに、

いつか意識しないでそうなれた時が、

ほんとに素直な心になれた時です。

 

意識している間は

素直な心にまだなり切れていないのです。

 

無意識のうちに素直な心になるには、

やはりかなりの時日を要するでしょう。

 

これこそ修行の大切な第一歩ですし、

基本こそ極意であることから考えれば、

これが基本の第一といえます。

 

塩田剛三

 

 

 

雑念を持っている間は素直ではない。

無我の境地に達することが素直な心。

最初は意識して、無心になろうとする。

それがいつしか意識しないで無心になることが出来る。

 

雑念とは、「気を散らせるよけいな考え」

「心を乱すさまざまな思い」のこと。

 

稽古前は、皆さん仕事や、家庭などの日常でストレスを抱え、

雑念を抱えながら、稽古をする。

稽古前に、黙想をし、邪念を振り払えて、

合気道の稽古をすることが望ましいが、

なかなか難しい。

 

私も道場を経営している上、

稽古前に重大なビジネスの電話がなることがある。

 

その電話の後、モヤモヤした気持ちで、

合気道を教えるのを、

会員さんに大変申し訳なく思うし、

良い合気道が出来なかったなと

終わった後は反省の念でいっぱいである。

 

邪念を振り払えた時の稽古は、

極端な話、相手の体格の大きさも、

性別や汗や匂いも

気にならないし、

技を掛けては、投げられ、掛けては、投げられを

何も考えずに行うことができる。

 

初心者のうちは、

次は足がこうで、手はこうでと

いろいろ考えるので、無心になることは難しい。

 

また、手首も弱いため、技を掛けられる度に

「痛い」となり、無心になることはとてもできない。

 

初心者が、素直になり、

無心になるコツは、

ポジティブシンキング!!!

 

 

 

相手の力が強く、手首を痛くされても

相手は、自分の「手首のカスを取ってくれている」と

ありがたみを覚えるとよい。

 

 

憎しみはいつまでも残ってしまうが、

相手に対する感謝であれば、

後を引かない。

 

合気道は誰とでも和すこと。

 

組む相手に感謝の念を持つことが出来れば、

初心者の方も徐々に無心になれるだろう。

 

合気道の道を究めるには、

一生研究と修行を積む覚悟と実践が必要だ。

 

慢心した時には、技は退歩する。

 

塩田剛三先生も、あんなに達人クラスになっていても、

「自分はまだ合気道は未熟だ。

植芝盛平先生にはまだ及ばない」と、

常に謙虚な姿勢で、道を追い求めていった。

 

塩田剛三先生でそうなら、

私たちも死ぬまで上を目指さなければ!

 

また、私は祖父・塩田剛三から技を教わったことはないが、

塩田剛三から習っていた多数のお弟子さんから、

合気道を習っていた。

 

その人たちは、60、70を過ぎている人が多いが、

いつまでも「塩田剛三先生はすごかった」と

目を輝かしながら言っている。

40年以上合気道を続け、

今も塩田剛三先生に近づきたいと、

合気道の指導を続け、成長し続けている。

 

 



塩田剛三は死ぬ間際まで強かった/合気道家の死ぬ直前でなぜそのようなことが出来る?

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言い訳

最近、言い訳する人が多い。

子どもで例を上げると、

体調が悪いから、宿題が多いから、今日寝てないからという

言い訳が多い。

 

そういう言い訳をする子ほど、成長しない。

 

しかし、指導者として、「言い訳しないでしっかりやれ」とは言わない。

子どもの潜在的な気持ちを呼び起こして、諭す。

 

「やれ」とは言わず、

足が速くなるには、頭がよくなるには、モテる?ためには、とか、

子どもに響きやすい言葉で伝える。

 

子どもによって、どの言葉が響くかわからないが、

武道をしている以上、自分に限界を決めつけず、

疲れるまで、技を行ってほしいと思っている。

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疲れるまで遊ぶ子ども

 

子どもの稽古では、最初に体幹や瞬発性のトレーニングをするが、

大人でもなかなか大変なことを行う。

 

例えば、後方受け身150本とか、

バーピージャンプ(ジャンプして、しゃがんで手をついて、

足を延ばして、また立つ運動)10分間とか。

※3歳から小学校低学年までのクラスの稽古風景

 

誰でも大変だが、しっかりやろうとする子と最初からあきらめてしまう子で

1か月後には大分差がついてしまう。

 

これが、できないと、明日死んでしまうかもしれない。

って気持ちを持てば大体のことは出来る。

 

子どもには「明日死ぬつもりでやれ」とは言わないが、

そういう覚悟をもって望めば、

能率の良い毎日を過ごせると思う。

 

 

ここで、祖父・塩田剛三先生が、

武道とは何たるかを

語った文章を紹介する。

 

 

武道の場合、もう一つスポーツと違う点があります。

スポーツや競技なら試合に向けて

自分の体のコンディションを最高にするように努めます。

しかし、武道である合気道では、

いついかなる場合でも、

たとえば酒に酔っている時でも、

体の調子が悪いときでも、

いざという時は、自分の状態を最高に置かなければなりません。

調子が悪いからなどの言訳は通りません。

これについて私がほんとに感心した植芝老先生の例を申し上げましょう。

 

昭和十四年のことだったと思います。

当時竹下勇海軍大将が植芝道場の会長であった関係で

先生に皇族方に済寧館で演武を

ご覧に入れてくれと頼まれました。

その時先生は「合気道は一瞬にして勝負を決するもので、

相手が再びかかってくることはありえない。

そういうことがあれば、それは虚偽である。

そんな嘘の技は皇族にはお見せすることはできない」と

一度は断わられたのですが、

竹下氏のたっての願いに断わり切れず、

済寧館に行かれることになりました。

※済寧館は皇居内にある道場

 

このときお供をするのが

高弟の湯川氏(今は故人)と私の二人でした。

しかもこの時、先生はひどい黄だんで、

十日間ぐらい水だけで、

ほとんど食事はとっておられず、

衰弱して着物を着るにしても、

歩かれるにしても

私ども両人の肩につかまらなければ

動けない状態でした。

 

こんな状態で演武がつとまるのかと、

両人顔を見合わせて心配したものでした。

 

それでもやっとのことお迎えの車に乗って

済寧館に着き、

車から降り、歩くときも私どもが支えて、

花道からいよいよ道場に入る前に来て、

皇族方のお姿が見えると、

急に眼光はけいけいと輝き、

今までとは打って変って、

凛然とした姿で、

さっさっと道場に入り、

丁重なご挨拶の後、

いよいよ演武に入ることになりました。

 

演武の時間は四十分と定められていて、

初めの二十分は湯川氏、

後の二十分は私が受けをとることになっていました。

 

湯川氏は先生の体の状態を考えて、

多少力を加減して先生に向ったようです。

 

しかし先生の気力は頂点に達していたのです。

あっという間に、

湯川氏の体はすっ飛んで、

畳にうずくまって動けなくなりました。

私は思わずかけ寄って、

よく見ると腕が折れてしまったようです。

そこで、湯川氏に代って、

私が四十分受けを努めるはめになりました。

 

私はもう手加減するどころか、

生命がけで先生に向かいました。

 

空中に舞って、畳につくや、

すぐ起き上って先生に突進する。

ピシャッと畳に押えつけられる。

体が自由になるや、また直ぐ立ち向かう。

また飛ばされる。

とにかく激しい気迫でしたが、

必死でなんとか四十分先生のお相手を勤め上げました。

しかし、その後さすがの私も高熱を発して、

一週間ぐらい養生を余儀なくされました。

この時の植芝老先生の演武前と演武中との

あまりの変りように、ただ驚きました。

そして真の武道家は常にこのように、

一旦緩急あれば、その前はどれほど体調が悪くても、

直ちに自己を最高の状態に置くものだということを

目のあたりにして、私自身の戒めとなりました。

 

ここにスポーツや競技の場合と異なる

武道の厳しい心構えがあるわけです。

 

また、植芝老先生は、よく私どもに

「わしの一番強いときは息を引きとるときゃ」と

言っておられましたが、

 

たしかにお亡くなりになる少し前に、

私がお見舞に先生の枕もとに伺った時、

先生の言に嘘がないことを目撃しました。

 

先生はどんなに病状が重くても、

必ずご自分で便所へ行かれるのです。

その時も、もうご臨終も近いと知っていたお弟子四人が、

先生が起きようとなさるのを、

両側からやせ細られた腕を押えて止めようとしたとき、

ぱっと振り払われたその力で、

屈強のお弟子四人は後ろの庭へはね飛ばされてしまいました。

植芝先生は最後まで真の武人であったわけです。

 

塩田剛三著「合気道人生」より

 

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武人・植芝盛平

 

武人は、些細なことで言い訳しない。

また、成長を止めることもしない。

死ぬまで成長し続ける。

 

祖父・塩田剛三も、死ぬ間際まで強かった。

もうあと何日も、もたないと医者から言われていて、

立てないくらい弱っていた。

 

そこでお見舞いに、

塩田剛三の動画を作り続けた、

DVD制作会社クエストの故・小暮社長がいらした。

 

塩田剛三は、「次はいつ撮影するんじゃ?」と、

立ち上がったのだ。

本人はまだまだ合気道をするつもりでいた。

 

祖父は、こんなに弱り果てても、

合気道がしたくてたまらなかった。

 

私も、祖父や植芝先生みたいに、

死ぬまで成長し続けられる人間でありたい。

 

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祖父・塩田剛三と私・塩田将大