達人・植芝盛平先生、塩田剛三先生は合気道をどのように解釈していたのか。
お二方のような達人のお言葉を別の人が解釈したものでなく、
本人が語った言葉で、覚えておきたいと思い、ブログに書きます。
以下は、絶版になった祖父・塩田剛三の著書「合気道人生」から抜粋した言葉である。
日本には各種の武道があり、それぞれの特徴をそなえておりますが、
合気道はその中でも、日本古来の純粋武道で、
中国その他外国より移入された武道ではありません。
現在では合気道といえば、ほとんどの方はその名をご存知ですが、
一般に普及しはじめたのは、戦後であるため、
新しい武道のように理解しておられる方も多いように思います。
その基礎を開いたと伝えられています。
義光はクモが細い糸で大きな虫を巧みに捕らえるさまからヒントを得、
また戦死体や罪人の死体を解剖して、人体の構造を研究したとも言われています。
義光の館が「大東の館」と呼ばれたことから、
「大東流合気柔術」と名付けられていました。
歴史的なことはここでは概略にとどめますが、
この技が後に甲斐の武田家に伝わり、
秘伝の武芸として門外不出のまま代を経て、
その子孫が代々継承し、「会津御留技」になっていたようです。
明治になってから、武田家の末裔・武田惣角先生が、
この秘伝を世に公開するようになりましたが、
それもごく一部にとどまっていました。
惣角先生の門人の一人に私の恩師故・植芝盛平先生がおられたのです。
植芝盛平先生は、卓越した天分のもとに、
大東流合気柔術を習得せられ、
さらに古来の各流各派の武道の精髄を取り入れ、
それに独自の工夫を加えて、現在の合気道を確立されたのです。
名実共に不世出の大名人です。
私は植芝盛平先生の道場に弟子入りした中学五年の時から8年余り、
ひたすら常住坐臥、先生の受けをとり、
先生の一挙手一投足を観測し、心の中まで入り込もうと努めました。
修行は一生続けるものだと知らされたのもその時です。
植芝盛平先生の偉大さについてはあとで触れることにします。
心・技・体一体となった時の素晴らしい合気道の威力、
また合気道は人を攻撃するための武道ではなく、
素直な心で、相手と和すことを旨とした、
いわば平和な護身術であること、
力の強弱、身長の大小や体重の軽重、
男女年齢に関わりなく技と心を習得できることを、
身をもって学んだ私としては、
この合気道を一人でも多くの方に理解していただき、
さらに進んで、また少しでも体験される機会を持っていただければ、
正しい合気道を通じ、国籍を越えて
世界の平和に多少でも寄与できるのではないかと信じ、
僭越ながら本書の刊行を企図した次第です。
合気道とは、塩田剛三が言うように、力の強弱とは関係ない武道。
実際、塩田剛三は、身長154cm、体重45kgです。
合気道の本質を証明したような方です。
その師である植芝盛平も156cmです。
もともといろいろな武道を経験している2人ですが、
人を攻撃することではなく、相手と和すことが1番強いということに、
気づきました。
そこを念頭に置いておかないと、相手を痛めたり、
別の武道と比べてどっちが強いとか、
全然別の方向に向いてしまいます。
もちろん、合気道をする上で、痛いこと、大変なことは、
たくさんあります。
そんな時に、技を掛けるほうは、相手を思いやる技を、
技を受ける方は、自分の体を強くしてくれていると、
お互いが相手を考える合気道をしていけば、
技もどんどん上達していくと思います。