塩田剛三先生が言う「合気道の基本」とは
どんなことだろうか。
塩田剛三先生は合気道は基本がすべてだと、
繰り返し言っている。
私たち塩田剛三先生の合気道を習っている人々は、
合気道の基本といったら、
基本動作6つ
・体の変更(一)
・体の変更(二)
・臂力の養成(一)
・臂力の養成(二)
・終末動作(一)
・終末動作(二)
を言うのかな?と思う人が多いだろう。
確かに、動きの基本は上記の6つなのだろうが、
塩田剛三先生は合気道の基本は、
動きだけでく、心の部分も述べている。
塩田剛三先生の言う、
合気道の基本とはどういうことだろうか。
合気道をこれから始める人も、
合気道を長くしている人も、
技を覚えたりするだけでなく、
いつでも基本に立ち返らなくてはいけない。
塩田剛三先生が述べる合気道の基本は7つある。
1、素直な心
2、動中に静を持す
3、対すれば相和す
4、体の重心
5、タイミング
6、呼吸力と集中力
7、円運動
この7つの基本を完全に身に着け、
これらが瞬時にして、
無意識のうちに技に出れば、
相当の達人になることができる。
今回は1つ目の合気道の基本
「素直さ」について、
考えていきたいと思う。
下記、塩田剛三先生の著書「合気道人生」より、
合気道の基本「素直な心」に関して述べた文章だ。
何事をやるにしても基本が重要ですが、
合気道においてはとくに基本が大切で、
基本がすべてであるといっても過言でないと、
今まで繰り返し述べました。
それでは合気道の基本とは何かについて
ふれてみたいと思います。
「素直な心」
稽古をするときには、
すべて雑念を去り、
素直な心になることです。
無心になって一つ一つ稽古を反復することです。
無心になるというのは意外
にむずかしいことです。
ですから最初は意識して
雑念をしりぞけるように努力します。
禅で初めに
坐禅を組んで無我の境地に
達するようにするのと
同じといえましょう。
常に無心になろうと繰り返すうちに、
いつか意識しないでそうなれた時が、
ほんとに素直な心になれた時です。
意識している間は
素直な心にまだなり切れていないのです。
無意識のうちに素直な心になるには、
やはりかなりの時日を要するでしょう。
これこそ修行の大切な第一歩ですし、
基本こそ極意であることから考えれば、
これが基本の第一といえます。
塩田剛三
雑念を持っている間は素直ではない。
無我の境地に達することが素直な心。
最初は意識して、無心になろうとする。
それがいつしか意識しないで無心になることが出来る。
雑念とは、「気を散らせるよけいな考え」
「心を乱すさまざまな思い」のこと。
稽古前は、皆さん仕事や、家庭などの日常でストレスを抱え、
雑念を抱えながら、稽古をする。
稽古前に、黙想をし、邪念を振り払えて、
合気道の稽古をすることが望ましいが、
なかなか難しい。
私も道場を経営している上、
稽古前に重大なビジネスの電話がなることがある。
その電話の後、モヤモヤした気持ちで、
合気道を教えるのを、
会員さんに大変申し訳なく思うし、
良い合気道が出来なかったなと
終わった後は反省の念でいっぱいである。
邪念を振り払えた時の稽古は、
極端な話、相手の体格の大きさも、
性別や汗や匂いも
気にならないし、
技を掛けては、投げられ、掛けては、投げられを
何も考えずに行うことができる。
初心者のうちは、
次は足がこうで、手はこうでと
いろいろ考えるので、無心になることは難しい。
また、手首も弱いため、技を掛けられる度に
「痛い」となり、無心になることはとてもできない。
初心者が、素直になり、
無心になるコツは、
ポジティブシンキング!!!
相手の力が強く、手首を痛くされても
相手は、自分の「手首のカスを取ってくれている」と
ありがたみを覚えるとよい。
憎しみはいつまでも残ってしまうが、
相手に対する感謝であれば、
後を引かない。
合気道は誰とでも和すこと。
組む相手に感謝の念を持つことが出来れば、
初心者の方も徐々に無心になれるだろう。
合気道の道を究めるには、
一生研究と修行を積む覚悟と実践が必要だ。
慢心した時には、技は退歩する。
塩田剛三先生も、あんなに達人クラスになっていても、
「自分はまだ合気道は未熟だ。
植芝盛平先生にはまだ及ばない」と、
常に謙虚な姿勢で、道を追い求めていった。
塩田剛三先生でそうなら、
私たちも死ぬまで上を目指さなければ!
また、私は祖父・塩田剛三から技を教わったことはないが、
塩田剛三から習っていた多数のお弟子さんから、
合気道を習っていた。
その人たちは、60、70を過ぎている人が多いが、
いつまでも「塩田剛三先生はすごかった」と
目を輝かしながら言っている。
40年以上合気道を続け、
今も塩田剛三先生に近づきたいと、
合気道の指導を続け、成長し続けている。