武道の基本を忠実に再現している。
・心の持ち方
・姿勢
について、前回のブログで記載してきたが
今回は、「目付」について。
「観の目」(かんのめ)、「見の目」(けんのめ)という
二つの目の使い方を上げる。
「目の付けやうは、大きに広く付ける目也。
観見二つの事、観の目つよく、見の目よはく、
遠き所を近く見、近き所を遠く見る事兵法の専也。
敵の太刀をしり、いささかも敵の太刀を見ずと云事、兵法の大事也」
( 訳 )
「目くばりは、大きく広くくばるものです。観の目、すなわち心の目で物事の本質を見極める事に重きを置き、見の目、すなわち目で見えるもの、表面に表れた見える動きには余り重きを置かず、遠い所、大局をしっかりと掴み、細かい事はあまり拘らない、これは兵法の常道です。敵の太刀の手の内を知り、いささかも表面的な動きに惑わされないと云う事が兵法にとって最も大切な事です。」引用:瀬戸塾新聞25号掲載記事
「相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまう。
相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。
相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。
真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。
だから私はこのまま立っとればいいんじゃ。」
も同じことを言っている。
塩田剛三先生の構えは、相手を見ているようで見ていない。
相手の遥か先を見ている。
この動画の40秒~45秒を見ていただくとわかる。
相手を見ているようで、見ていないことが分かるだろうか。
また、構えた時は、正面だけでなく、
真横も見えるような目付をしろとも言われた。
合気道は多人数で襲われた時も想定した稽古をする。
目の前の1人だけに目を奪われていたら、
次から次へと襲ってくる受けに対応が出来ない。
1人を見ているようで、自分の前方全体を見ている。
達人の合気を比較 多人数取り 砂泊諴秀 塩田剛三 [Aiki comparison]
植芝先生の相手の目を見てはいけないという言葉を勘違いして
全く、相手を見ない人がいる。
相手を見るが、見方が違うのである。
宮本武蔵の言葉を借りると、見の目ではなく、
観の目で見ることが大事なのである。