塩田 将大 Aiki Peace Seeker -合気道家-

★塩田剛三の孫が伝える【心】を豊かにする合気道★

謎に包まれた養神館の合気道専修生コースとは?体験者が語るその内容とは?

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専修生の時

自分の中で、大変で自分の未熟さを知り、

その後の人生を変えた2つの出来事は、

受験の時と、専修生の時だ

 

受験の時を話したブログ↓

 

私は祖父・塩田剛三が作った合気道養神館で、

専修生というコースを受けました。

 

 

専修生は、

警視庁専修生と国際専修生があります。

 

警視庁専修生は、警視庁から、

柔道、剣道の黒帯が集まり

国際専修生は、国籍を問わず、

国内外から集まり、

合気道の指導者になるために

稽古を行います。

 

黒帯を持っていても、

専修生はみんな白帯からスタートします。

 

この制度は、もう60年以上続いています。

※国際専修生制度は30年くらい。

 

稽古時間は、公務員の勤務時間通りです。

(だいたいは)朝8時半に始まり、

夕方5時半に終わります。

8時半になったら、道着に着替え、

朝9時キッカリにそれぞれ割り当てられた掃除を行います。

 

掃除で、40分くらいかかってたと思います。

掃除後、申告というものを行います。

 

申告とは・・・

専修生皆一列に並び、その日に道場にいらっしゃる一番偉い先生に、

挨拶を行います。

専修生代表「●●師範に礼」

➡みんな合わせて礼をする。

➡専修生代表が一歩前に出て、

 向きを変えてその先生と向かい合い、

 一礼する。

専修生代表「●●専修生(●●は自分の名前)他、〇名。

本日の稽古よろしくお願いします。」

➡専修生代表と先生が一礼する。

➡専修生代表は元の一列に戻り、

➡専修生代表「●●師範に礼」

➡みんなそろえて礼をし、「押忍」

➡先生〈今日も頑張って的なことを言う先生もいれば、何も言わずに

 例をして、戻る先生もいる)

➡先生がいなくなるまで、ずっと礼をしている。

 ドアが閉まる音で、先生がいなくなったことを察知し、

 顔を上げ、道場に向かう。

 

言葉で説明するのは難しいが、こんな感じ。

 

その後体操をし、

基本稽古5分前に道場で正座して黙想をします。

 

 

専修生は、

週5日仕事と同じ時間道場で過ごし、

合気道に専念します。

警視庁専修生は、9ヶ月。

※昔は3年

国際専修生は、1年行います。

 

1コマ1コマ先生が変わります。

 

警視庁の合気道のトップで指導されていた先生が、

退職後、専修生の先生になることが多く、

私も運が良いことに4人の警視庁の先生に

関わることが出来ました。

1人の先生は、稽古で教わったことはないけれど、

お話しを何回か聞くことが出来ましたので、

一応4人ということで

 

その4人の先生は、40年ほど前に警視庁専修生として、

塩田剛三に教わっていた方々です。

 

今回は、その先生方のお話しをしたいと思います。

 

4人の方々は養神館の警視庁専修生をしていたという

共通点はありますが、それぞれ専修生をする前、

もしくは後に

A先生はフルコン

B先生は養神館一本

C先生は大東流

D先生は合気会と、

それぞれ、経歴が違い、指導も全く違います。

 

どの先生も、当時を思い出して、

「塩田剛三先生はずごかった・・・」と、

目を輝かせて言っていました。

 

いずれも、40年以上合気道を続けられて、

素晴らしい先生方です。

 

その4人の先生に関して、

どのような指導を受けたのか

お話ししたいと思います。

 

まず、A先生。

A先生は身体も大きく、

いかにも格闘家という方。

土曜日のお昼13時~担当されていた先生ですが、

1年の稽古のうち、

9割が四方投げと肘締め、受け身だけでした。

 

A先生は当時65を過ぎていましたが、

顔面あり(もちろん、ヘッドギアあり)の、

格闘技をしていました。

 

そのためすぐに実践にこだわる方だったので、

四方投げ、肘締めを選んだのかもしれません。

 


【7級】片手持ち四方投げ(一) Katate mochi siho nage 1

 


胸持ち肘締め(二)

 

上の2つの動画は形(かた)なので、

ゆっくりですが、A先生の稽古では、

いかに早く技をかけるかを重視していました。

 

持たれたらすぐ、技をかける。

それをひたすら、早い人に合わせて稽古を行っていました。

 

受け身は、30本を何秒で出来るか。

30秒で何回飛躍受け身できるかなど、

周りと競い合うような稽古をしていました。

 

 

風邪を引いたときに、その稽古を行い、

頭がガンガン揺れながら、

受け身を取ったのを覚えています。

 

 

B先生について

 

この先生は養神館一筋でした。

警視庁にいながら、

自分でも道場を持ち、

神奈川の方で指導をしていました。

 

生涯、常に塩田剛三先生を考えていた方だと思います。

 

60を過ぎて病気になり、

肩と、大胸筋がつながる筋肉が使えなくなったときに、

塩田剛三先生の言ってた意味が分かるようになったんですって。

 

私が教わっていたのはB先生が66歳くらいかな?

常に塩田剛三先生の合気道を研究されていて、

稽古時間が過ぎても、教えてくれるほど、

指導にも熱心な方でした。

 

10時から11:30までの稽古でしたが、

12:00過ぎまで教えていただいたこともあり、

昼食が食べれなかったのを覚えています(笑)

 

C先生は、大東流出身の先生。

今の私の稽古の仕方は、

C先生に1番近いと思います。

 

毎週、C先生の稽古は楽しみでした。

C先生はすごい小柄な先生。

160あるかないかくらいだと思います。

 

ただ、威力が抜群。

二か条を受けて、その衝撃で膝から崩れ落ち、

膝を畳にぶつけて、

傷めたのを覚えています。

 

二か条をされて、膝を怪我したのは初めてでした。

 

C先生の技は、どれも痛くなく崩れるんですよね。

当時の私には革命的でした。

 

D先生には、直接教わったことはないのですが、

合気会出身で、今も合気会として道場を持って、

指導もされているし、養神館でも指導している。

 

最初、私が合気道を始める前にお話ししました。

D先生は、塩田剛三のビデオを再生しては戻し、

擦り切れるくらい見たとおっしゃっていました。

 

で法則に気付いて、

塩田剛三の肘が真下に落ちているとか。

この時は、塩田剛三先生は話しながら、

重心を移動しているとか。

 

その話をしているD先生は、

当時合気道を知らない私にも、

熱意を込めて語っていたのを、

今でも覚えています。

 

当時教わることが出来なかったですが、

演武を見ても、D先生のすごさが分かり、

D先生に教わっていた警視庁の生徒は、

幸せだなとつくづく思います。

 

もちろん、他の養神館の先生も素晴らしいです。

 

いくつになっても、

合気道の研究をされている方は、

流派関係なく、カッコよいです。

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私の次の代の専修生